踊り子を辞めて一年になります。
ステージを観る側になって、時間が経つにつれて、大事なことを黙ったままで良かったんだろうかと思うことが増えました。
踊り子を引退する時、
実際の理由は書かないほうが
良いと思っていたのですが、
「気持ちはステージで伝える」
そういうプライドを持った人を大切にしたいと思うなら、むしろ外に出る自分が言葉にしなきゃいけなかったなと。
あの時は最後まで頑なに「身体で語る人」でいたかったから書けないでいたけど、
ずっと心残りだったことを、忘れないうちに書き残しておこうと思います。
わたしがまだ踊り子だった時、
写真撮影の列に並んでいたお客さんから「上裸の状態で、わたしの胸にお客さんの腕を押し当てて欲しい」と何度かお願いされる週がありました。
そういうことはできません、と伝えると
「こういうところで身体を張って盛り上げてくれる踊り子さんだっているのに。なんで一人でお高く止まってるの?」
「踊り子さんはそういうことやってくれると思ってたから並んだのに、並んで損した。」
「ほかの踊り子さんはやってくれたのに、なんでこの人はやってくれないの?」
何度もそんな風に言われた週があって、その週、自分の中のいろんなものがどんどん崩れていく感覚がありました。
ステージで楽しんでもらうことができなかったんだ、と悔しい気持ちでした。
踊り子さんにとっての“身体を張る”ということは、お客さんに裸体を押し付けることでも、公演外に関わったりすることでもなく、
“ステージを楽しんでもらうこと”だと、
ずっと思っていました。
その一点にいろんなものを懸けているお姐さん達を見て、憧れてきたからこそ、わたしはステージが好きでした。
経験がない、才能がない、不器用だから、、
そういう言葉に甘んずることなく、黙々と練習に練習を重ねる踊り子さん達に憧れていました。
あの頃自分を含め何人か
「(お客さんに身体を押し付けたり、ステージ・撮影外で関わるなど) そこまでやってしまったらそれはもう“踊り子”ではない。」
「やっている踊り子さん本人は良くても、周りの踊り子さん(特に新人さん)のリスクまで高くなる。」
と、声を上げる踊り子さん達がいた中で
「それはその人達なりに頑張ってるだけだから」と、そういう行為が見過ごされていました。
(ロック館の劇場内スタッフの方々は、見つけ次第注意してくださってました。)
その“頑張り”の結果、無防備な踊り子さんの身に何かあったら。
表向きに許されていることではないので、“踊り子さんが勝手にやったこと”になりますし、踊り子さんの責任になります。
初めて来たお客さんの中は「ボディタッチ」などできるものだと思って、他の劇場でも、他の踊り子さんにも、求めてしまう方がいらっしゃいます。
新人の踊り子さんの中には
「お姐さんはやってくれたのに」という言葉で、自分も同じことをやらなくてはいけないのか…と悩む人もいました。
(今はなき“エロポラ”も、そもそも転売されたら困るような写真を撮らせた踊り子の責任、という扱いだったので、それが困るならやらなければいいだけと言われていましたが、実際にはほとんどのお姐さんがされてきたことなので、新人さんや若手が自分だけNGにできるような状況ではありませんでした。)
(!握手は一般的なコミュニケーションのひとつなので“ボディタッチ”とは全然ちがいます!😖)
それなのに、そういった行為が
“頑張り”、“努力” として扱われる。
そして、ひたすらステージに向き合う踊り子さんほど、悔しい思いをする。
そういう当たり前を後に残さない為に、どうしたら良いんだろう?
ぐるぐる考える毎日でした。
コロナ渦では、広い広い劇場の幕が開けた時、すっからかんの客席を前に踊ったりもしました。
多くの人に愛されていた劇場が、
惜しまれつつも閉館しました。
そんな厳しいご時世、“過激なエロポラ”や“密着ポラ”に反発し、ただステージで研鑽を重ねたいと思う自分がわがままなのかと、活動の幅を広げたりもしました。
でも「劇場ではステージの表現を一番大事にしたい」という気持ちを、
支持してくださるお姐さんもいらっしゃいました。
「お客さんに楽しんで欲しいから、どんな時もひたすらステージに向き合い続けてきた」と。
そんな言葉をかけてくださったお姐さんも辞めてしまわれたけど、同じ気持ちでいると伝えて頂いたことがどんなに救いになったかわかりません。
暗黙の了解、みたいなことに突っかかる人は、本当に厄介だったと思います。
でもわたしは、劇場で働いているスタッフさんや踊り子さん達が、ステージをブラッシュアップすることにどれだけのものを懸けているのか、たった7年間だけど沢山見ました。
「いかがわしい場所だと思っていたけど、行ってみたら意外と素敵なショーだった」
そういう感想を得られたのも、
来てくださるお客さんの幅が広がったことも、
従業員さんやお姐さん方の長年の努力、そしてお客さんたちの理解や協力があってこそ、だと思ってます。
だから、特別なふれあいを喜ぶ方がいらっしゃるのは事実かも知れないけど、劇場という場所ではそれを目的にして欲しくはないなと思ってしまいました。
「人だって世界だって変わり続けているんだから、わたしが憧れた場所もやっぱり変わっているんだ」
「自分みたいな考えの人は、今のストリップを取り巻く環境には合わないのかも知れない」
そんな風に考えたことが引退のきっかけでした。
今、どんな風に環境が変わっているかわからないけれど、、
あの世界でたくさんの人がステージに懸けている想いは、大切にされて欲しいと思います。
ステージで楽しんでもらえる場所にしよう。いろんなお客さんに安心して楽しんでもらえる場所にしよう。
そんな気持ちで積み重ねてきた年月が逆戻りしていくことは、ありませんように。
追記→
引退を考え始めた時は、毎日苦しい気持ちでした。
その次の週、誕生日だから初めてストリップを観たくて、と横浜に来てくださったおねえさん達。
最高の1日だった、素敵な誕生日になった、とても楽しいステージだったと、たくさん褒めくださったおねえさん達、
一番苦しい時に、一番優しい言葉をかけてくださってありがとうございました。
他の踊り子さんたちもみんな、踊り子になって、こんなに嬉しい言葉をかけて頂けて、本当に良かったと喜んでいました。
あれが最後の横浜になってしまったから、またいつか、は叶わなかったけど、あの時のことはずっと忘れないと思います。
あの日があったから踊り子として心を保てていたんだと思ってます🙏
本当に、ありがとうございました🙇♀️
